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7月号VIPインタビュー


太字ー住田千鶴子
細字ーアヌポン・タンウォンサクン
( チェンマイ ツーリズム ビジネス アソシエーション副会長 )

アヌポンさんは、旅行会社を経営されていますが、それまでの経緯をお教えください。

インタビュー私がチェンマイで旅行社を運営することになったのは、幼い頃(12歳)に通ったニウェートタマプラッワット寺院の中にある小学校へ毎日通った時の出来事が関係しています。

当時小学校6年生の私は外国からの観光客で賑わうバンパイン離宮近辺を毎日の通学路としていました。外国人観光客を目の当たりにしていた私は、最初の夢として将来、観光客相手に民芸品店の経営を思い描きました。次に彼等が乗っている観光バスが目に付き、遠くまで遊びに行けるバスの運転手になるのも楽しいかなと考えました。

その後、度々観光客を見掛けるうちに観光客達の前で颯爽と旗を掲げながら歩き、私の解からない言葉で観光客達にずっと話し掛けている人に出会いました。その人はガイドだったのです。

私は大きな外国人観光客達を恐れもせず、彼等相手に異国の言葉で話しているガイドに尊敬と憧れを持ちました。

しかし、当時の私は教養も語学力に全くなかったので、ガイドに憧れてからは英語とタイ国の歴史を一生懸命に勉強しました。

ガイドという職業に尊敬と憧れを抱いたことがきっかけだったのですね。

そうなんです。郷里の学校を卒業した後、バンコクに出て仕事を探しましたが、仕事がなかなか見つからずやっと探し当てたのは1日働いて10バーツ位にしかならない仕事でした。

その後、機会がありボーピット(日本語学校)で3年間日本語の勉強をして、卒業後日系の旅行社に勤めることができました。最初の仕事の内容は、日本語のタイプライターを打ったり、日本人観光客用の旅程や旅行案内のパンフレットを作ったりしたので、これらの仕事を通して日本語が更に上達しました。

夢に少しずつ近づいて行った訳ですね。

しかし、まだまだ知識が乏しかったために、1981年には、TATの観光コースの3ヵ月研修に行き、一層勉強してこの研修で得た観光の知識を日本語で他のガイド達に教育することも出来ました。

私は日系の旅行社で働きながら、その間にも出来るだけ観光客の皆様にチェンマイの魅力を紹介してきました。なぜなら、将来の独立を目指していた私は、当時チェンマイにはガイドが少なく、日本人観光客達がチェンマイに行くにはバンコクからガイド(兼通訳)を伴わなければならず、無駄な出費があったからです。

チェンマイは気候が良く、取り残された観光スポットが沢山点在していて、将来はバンコクと同じように観光で繁栄して行くことを見越していました。

その後、14年間働いていた旅行社を退職して、計画通りチェンマイに旅行社を作りました。

そして現在、チェンマイで旅行社を運営しながら子供の頃からの憧れだったガイドになることが出来ました。

今までのご経験を活かして、他にどのようなことをされていますか。

チェンマイには、日本人の多くのロングステイヤーが住んでいます。そういう方達のために、「病気になった時の用語集」を作りました。これは日本人の方が病気のなると、タイ語が話せないため、いつも通訳に困難を感じていました。そこで医師との意思疎通には医学専門用語の辞書の必要があると思いました。作るのには時間がかかりましたが、日本人の患者が来院した時に役立ててもらおうと、この用語集を病院やクリニックに無料配布しました。

また、日本の北海道から生まれた「パークゴルフ」(公益社団法人日本パークゴルフ協会)のチェンマイでの「パークゴルフ」の会長をしています。現在は約40名の会員数ですが、将来は日本で行われる国際大会に出たいと思っています。

ツーショット
病気になった時の用語集
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